ワクチン2回目接種した

コロナワクチン2回目接種を月曜日に受けた。

職域接種でモデルナ製。

巷には聞いていたけれど、副反応にやられてしまった。

午前10時に接種した。

自宅から接種会場までは自転車で約20分。

バスで行こうかと迷ったけれど、別に、大したことはないだろうと、

久々の晴れ間の初秋の少し汗ばむ陽気の中、会場を往復した。

 

10時から接種だったので、接種後は寄り道したいところとぐっと我慢して、

帰宅するつもりだったので、用事は10時前に済まして、会場へと向かった。

 

1回目の接種の後、全然平気~と楽勝楽勝、とデパートをはしごして、本屋で

立ち読みして、パン屋で昼ご飯を買って、でもその日は雨だったので、

自宅までバスに乗って帰った。

バスの中でいつものようにスマホを見ていると、なんだか口の中に違和感を覚えた。

あれ?なんだか、もしかしたら腫れている?

マスクをしているそのままで、舌で口の中を一周させると、やっぱり何か違和感がある。

そういえば、私、以前「クインケ浮腫」になったことがあったんだ。

まずい。今ごろ副反応か?

腫れてきたのか?アナフィラキシーの前触れか?

バスの中でドキドキしつつ、「やばい、やばい」と心の中で叫びながら、

下車してバス停から早歩きで10分かけて家へ急いだ。

 

…話が長くなるので、カットするが、結局なんともなかった。

あの後すぐにかかりつけ医に電話して診察してもらったが、アナフィラキシーの症状は出ておらず、アドレナリンを投与するまでもない。まあ、なにかよくわからないが、とりあえずアレルギーを抑える薬を処方してもらった。

飲んだら、別になんということはなかった。

ただ、熱がすぐ出た。37.1℃。そしてすぐ下がった。

 

で、2回目接種の話に戻るが、

普通に自転車で汗びっしょりで帰った。

ワクチン接種後にこんなに汗かいていいのか?というほど。

1回目は直後に腕が痛くなったが、腕も全く痛くないし、熱も出ない。

 

ただ、足が重かった。自転車のペダルのギアが合っていなかったのかな、と思うくらい

足が鉛のように重かった。おもりをつけて歩いてるみたいに。

 

お昼ご飯を食べた。

熱はなし。腕も痛くない。

なーんだ、やっぱり楽勝じゃん、

…とは思えなかった。熱はないのに、ぼーっとしてる。

横になりたい。でもお腹が空く。

生理前のふわふわ、ぼーっとしてくる感じにも似ていた。

 

いつもは夕方6時頃から夕飯を作るのだが、4時頃から作り始め、6時には

シャワーも浴びず、床に入った。

起きていたくない。頭も使いたくない。寝たかった。

熱はなし。

 

そのまま寝た。

 

夜中、1時頃、背中が寒くて目が覚めた。ゾクゾクする。

寒くて寒くて仕方ない。ぶるぶる震えてひっぱりだしておいた毛布と薄掛けの羽毛布団を重ねても寒い。

あーー、熱が出始めたんだ。

副反応、半端ないな。

 

そして、その2時間後、夜中3時頃、

今度は熱くて熱くて仕方ない。発熱だ。

準備していた体温計で計る。

38.2℃。

 

寝られない。お腹が空いている。

でも食欲がない。

 

家族の誰も気づいてくれないし、仕方ない、自分で階下へ降りて、小っちゃな保冷剤を取ってきて、額、脇の下に交互にあてながら、はあはあ言いながら、横になっていた。

 

これは、とりあえずやり過ごすしかないな、と思い、でも心の中では「お腹空いたー」と矛盾した気持ちもあり、ま、なんとかなるわいな、と初老の自分に言い聞かせていた。

 

ずーっと前に子どもから貰ってかかった「溶連菌感染症」のほうが格段に酷く、今回のコロナワクチンの副反応は、私にとってはそれほどでもなかった。

溶連菌はよく効く特効薬があるので、命に別状がないが、もし特効薬がなかったら、

大変なことになっていると思う。

 

コロナも早くよく効く薬が出来ればいいのに、

 

私の場合は、まる2日で解熱して、そのあとは腕がモデルナアームになって痛いが、特に支障なし。

 

いろいろあるよねアライヤキャリーだよね。

 

そんなことより、一体いつ次の職場が決まるんだろう?

 

先は長いよ、どこまでも。

 

 

 

 

うつヌケ

子育て支援の相談員として従事して4年。

保護者がうつ病のケースが多い。母親がうつ。父親がうつ。

うつのために子育てができない。うつのために働くことができない。

どうすればいいのか。

親がうつでも子どもはどんどん成長する。

子どもを保育園に預けて療養したい。子どもが保育園に行っている間だけは心身ともに休める。

 

私の身近な知り合いでうつになった人はいなかった。

うつの実情がわからない。相談員としてうつの方の相談を受けても本当のところがわからない。

 

自分が病気なのに子どもの世話をしなくてはならない、一家を支えなくてはならない、

きっと大変なんだろうな、ということは想像できる。

 

「うつヌケ」

手塚治虫に絵が似てるな。

図書館の本棚で見つけた。

副題には「うつトンネルを抜けた人たち」とあった。

 

ある時、

職場に一本の電話が入った。

「妻が急に亡くなった。子どもがいる。自分が働くには子どもを保育園に預けたい。どうしたらいいのか。」

 

私が以前相談を受けた世帯だった。母は子育てに悩み、疲弊していた。

もちろん担当の保健師にもケースワーカーにも母と子どもの状況、家庭の状況を伝えた。きっとなんらかの支援策を講じているとばかり思っていた。

 

母は自死だった。発見したのは夫。つまり子の父だった。母がうつだったかはわからない。

「うつヌケ」には、「「自殺」とは心のガンの症状のひとつでそれによる死は「その人の心の寿命だった」…と考えるべきなんです そう考えないと残された家族や周囲の人が命を救えなかったことで自分を責めるから」と書いてあった。

 

相談員として母を救うことができなかった。

いや、誰も救えなかった。

 

誰でもなり得る「うつ」という病。

予防することが大事だ。うつヌケできる支援が大事だ。